『盛り場の歴史散歩地図』 赤岩州五著 草思社 を買ってきました。
新宿にある紀伊国屋本店の前で、この本の広告をみかけたからです。
地図をみるのが好きです。
その地図に説明がついていると、地図とみくらべながら、その土地のことをもっと知ることができて、楽しいです。
この本では、東京の盛り場が第二次世界大戦後どんな変遷をたどってきたかを、その時の地図とともに、知ることができました。
そして、ずっと知りたかった歌舞伎町の名前の由来について記載されていたのです。
以下、この本からの要約抜粋です。
角筈(つのはず)一丁目北の町会長だった鈴木喜兵衛さん。後に、「歌舞伎町を作った男」と呼ばれたそうです。
4/14の空襲で、府立第五高等女学校が周囲とともに焼失。学校は移転。その跡地に「菊座」という歌舞伎劇場をつくる計画をたてたのが、鈴木喜兵衛さん。
1947年、町名変更を行い、角筈(つのはず)一丁目を歌舞伎町としました。
ところが、その後、建築統制のため、娯楽のための「有閑建築」は一切禁止。歌舞伎町という名前だけが残りました。
「菊座」がつくられるはずだったところは、今の新宿東宝ビルのあるところ。
鈴木喜兵衛さんのお店、「すずや」は、現在はSUZUYAビル5F「新宿すずや」にあります。
抜粋、終わり。
先人の思いが、盛り場をつくる。
もっと歌舞伎町のことが好きになりました。